ひとりカラオケに敗北した無職
これは、僕がひとりカラオケで一曲も歌わずに退散した時の話。
約10年ぶりのひとりカラオケ。
車で30分、安さだけが売りのさびれたカラオケ店がちゃんと潰れていたので、某有名チェーン店に行くことに…
料金は先払い、機種は違いがわからないのでお任せした。
「あ、機種…何でもいいです」と言った時の店員さんの顔。
僕はかなりの音痴である。学生時代の合唱コンクールで口パクを承認…推奨されるぐらいには。
だが、歌うということが嫌いなわけではない、むしろ好き。
僕の数少ない趣味にドライブがあるのだが、このドライブももはや歌を歌うために車を運転しているとも言える。
では、なぜわざわざカラオケに来たのか、それは…
「誰かとカラオケにいくことになった時に、レパートリーがなければ恥をかくのではないか」
と思ったからである。
現在僕は無職で、友達と呼べる存在はいない。そもそも誰かと外出するというイベント自体がここ数年発生していない。
「まずは職に就き、交友関係の形成を最優先とするべきではないのか」
皆さんの言いたいことはわかっている。何なら僕が1番わかっている。車のハンドルを握りながら、布団の中で縮こまりながら、いつだって頭の片隅で誰かが囁くのだ。
だが、一度考え出したらもう止まれないのだ。「カラオケのレパートリー」という言葉が頭から離れない。
そんなわけで僕は、ひとりカラオケに飛び込んだ。
なんやかんやで受付を乗り越えて、指定された部屋に向かう途中で思った、
「けっこう声がもれてるなぁ」と…
こうなったらもう終わり、声は出ない。部屋が暑いのか寒いかもわからない。袖をまくりながら暖房をつける。
曲を選ぶフリをして耳を澄ます…部屋の中にいてもこれだけ周りの声が聞こえるのか。
ドリンクを取りにいくフリをして耳を澄ます…やっぱり外だとガンガン聞こえるな。
人と遭遇したくなかったので、ドリンクの量もめちゃくちゃ少ない。情けない。
ひとりで来ているのはおそらく僕だけなので、僕が歌い出したらきっとみんな僕のことを笑うだろう。ずっと騒がしい部屋はなく、どの部屋にも曲の切れ間には静寂が訪れ、周りの歌声に耳を澄ますはずだ。
そもそも僕は最近の曲を全然知らない、機械にオススメされる曲もほとんど知らなかった。
時代とズレた曲を、下手くそな声で歌う、ひとりぼっちのダサいやつ。こう思われるに違いない。
仮に僕が音痴ではなく、長所に歌声と書けるほどのものがあればこんなことにはならなかったのか、おそらくなっていない。
美声は僕に自信を与え、その自信は性格にも影響を及ぼすはずだ。こんなことを考えながら時計を見る。
「1時間ってこんなに長かったっけ」
いざという時のために持ち込んだ小説に助けを求め、僕はひとりカラオケから退散した。
最後に、カラオケの謎について話したい。
「退店の際に、何を持ち帰れば良いのか」という問題である。
マジでわからん、心臓を小さくする悩み…
受付時に渡された物は
•部屋番号が書かれたプラカード
•伝票
•おしぼり
•コップ
•プラスチックのカゴ
今回はマイクがなかったのでありがたい。まず、伝票は持ち帰る。次におしぼり、使用感を出して机の上に置いておく。ここまでは大丈夫。
次にコップ…これは難しい。受付で渡されたのだから受付に返すのが無難だと思ったが、使用済みコップを渡されても受付の人は困るだけなんじゃないのかとも思った。どうせ部屋の掃除をするんだから置いておいても問題はない。
さあ、残るはプラカードとカゴ。この2つをまとめて受付に持っていけば問題ないな。そう考えながらプラカードの目をやると、何か書かれていることに気がついた。
「退店の際はこのカードを受付までお持ちください」
記憶が完璧ではないが、こんなことが書かれていた。そして僕は思ってしまった。
「このプラカード‘‘だけ’’ を受付に持っていくのか…?」
この考えに支配された僕はプラカードだけを手に持ち受付に向かった。
そこにはカップルがいた。彼氏の手にはカゴがあり、その中にはコップが入っているのが見えた。
僕は間違えたのだ、部屋に戻らねばと思った時には遅かった。カップルと目が合い、受付のお姉さんとも目が合った。
お姉さんの瞳が語る、
「お前は間違えているぞ」と…
こうして僕はカラオケ店に2回の敗北を喫し、逃げるように店を飛び出した。
信号を待ちながら車の中で悔しさを噛み締めていると、先ほどのカップルが身を寄せ合い、手を繋ぎながら隣を通過していくのが見えた。
僕のことを笑っているのか?見下しているのか?今日の夜も盛り上がるんだろうなぁ
体が震える。この震えは寒さからなのか、悔しさからなのか、虚しさからなのか。
今日はクリスマス。無職にサンタはきっと来ない。